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株式会社 恵那川上屋 鎌田社長【前編】 デザインの力 社長インタビュー  2019.9.28

恵那川上屋が”文字がメインのチラシ”を作ったワケ。和菓子屋とデザイン会社が仕掛けるブランディング

 

 

 

「恵那といえば、栗だよね!」

 

 

そう多くの人が答えるようになった背景にあるのは、恵那を代表する菓子屋「恵那川上屋」の存在が大きいのではないでしょうか。

今回はスペシャルインタビューとして、

 

 

恵那川上屋 代表取締役 鎌田真悟社長とゼロワンカンパニー 小板 の対談をお届けします。

地元の人から観光客まで多くの人が立ち寄る恵那峡店の立ち上げから、「恵那といえば、栗」と言われるようになるまでのブランド化の経緯を、前編と後編に渡りじっくりと読んでみてください。

 

 

 

 

 

 

ーお二人はかなり長い付き合いとお聞きしましたが、最初の関わりはいつ頃ですか?

 

鎌田社長:最初の関わりは、僕が恵那に帰って来てから、この辺りでは後発の菓子屋として恵那川上屋をやっていた時に遡ります。

 

その頃、僕は恵那峡店を立ち上げるに当たって大きな借入をして、売上を上げようと、色々な百貨店へ出店したりしていました。

 

そんな中、渋谷東急のれん街で1週間売らないかという話をもらったんです。
1日30万円売れるという話もあって、喜んで売りに行ったんですが、結果的には5万円しか売れなかったんですね。

 

 

 

 

売れ残ったお菓子を見て「もう全部やめよう」と思ったんです。
地元の人も買ってないのになんで東京で売ってるんだろう、と。

 

そこで、まず地元でチラシを配布しようという話になりました。
まず地元の人に知ってもらい、食べていただく事を目的にしようと思いました。そして当時衰退していた地元の栗栽培を、もう一度復活することができればと思ったんです。

 

ただ、それは菓子屋の僕ではできないこと。
誰か一緒にやってくれる人がいないかな…と思っていた28歳の時に、入会していた恵那青年会議所で出会ったのが、上下紫色のスーツを着ていた人、つまりそれが小板社長なんです(笑)

 

小板:僕が30歳、もともとやっていた飲食店のお客さんに頼まれてデザインの仕事をやっているうちに他の仕事もいただくようになって、アパートを事務所として3人体制でやっていた頃です。

 

チラシ作りは、鎌田社長が事務所に来て、広告を作りたいという話をされてスタートしました。

 

鎌田社長は当時から今言ったこと、そのままの話をしていました。
常に新しいことを考えていて、もう前にしかいかないんです。

 

そんな人は当時のクライアントさんにはいなかったし、僕自身、まだ地産地消とか、まちづくりについてはあまり深くは考えていなかったけど、せっかくこっちに帰って来たので、そういうことを地元で考えている人がいるなら一緒になにかできればと思いました。

 

 

ーチラシ作りは、どんな風に進んで行ったんですか?

 

鎌田社長:ただものを売ってもダメで、何をお客さんに認知してもらうかという議論をしながら作っていましたね。

 

小板:どういう商品がいいのか?とか、商品開発の話からしていました。

 

鎌田社長:最初のお菓子の名前は、ほぼ小板社長がつけましたね。

 

 

ーその頃のチラシはどんな内容だったんですか?

 

小板:チラシは毎月制作していたんですが、内容はお菓子の名前に込められた意味や、お菓子の誕生にまつわるエピソードなどに関する文章がメインでしたね。

 

 

 

 

 

文章が多かったのは、当時は写真が高かったからという事情もありますが「地域のことを外へ」「地域の人にいかに学んでもらうか」ということを大切にしていたからでもあります。

 

お菓子が有名だから人に送るのではなく「このお菓子はこういう意味があるんですよ」と言って渡してもらうことに意味があるんだ、と思って文章を載せていました。

 

鎌田社長:思いを一生懸命伝えているから「久しぶりにいいチラシを見た」って言われたこともありました。

 

 

 

 

 

ーお菓子のチラシというと美味しさを伝えるイメージがありますが「地域のことを外へ」を大切にしていたからこその内容なんですね。

 

鎌田社長:実はこの頃は恵那駅でチラシを手渡しで配布していたんですが「外に持って行きたくなるものを作る」ということに気がついたのはこの頃なんです。

 

ある日、恵那駅でチラシを配り終わってから、チラシを渡した最後の人について行ってみたんですね。

 

すると、その人が名古屋の千種駅で降りて、その時に僕の中でイメージが湧いたんです。

 

恵那川上屋のチラシを会社に持って行って、事務のお姉さんに”美味しそう!食べたい!”って言われたら、恵那の男達は「今度買って来てあげるよ」って言いますよね?で、その時に恵那の自慢もしたいわけです。

 

当時は、恵那で自慢できるものと言えば、ずっと前に作られた映画「青い山脈」くらいしかなかった時代でした。

 

だからこそ、100年後の名物を自分たちで作ろうと思いました。そのためには、地元の自慢のお菓子をプロモーションして、地元で採れる「恵那栗」をブランド化していかないといけないと考えました。それから恵那栗のブランド化が始まったんです。

 

 

 

 

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後編「大事なのはデザインすることではなく、デザインまでのプロセス。恵那栗ブランド化から見るデザイナーの役割」では、恵那栗ブランド化の背景や、ブランドを育てる上でのデザインの役割に迫ります。

 

 

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